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小説がうまくなる場所(続・授賞式にいってきた)

 ふたたび授賞式(贈賞式)に行ってきた。

前回の記事の方とはまた別の友だちの授賞式だ。友だちがすごいからおれもすごいみたいなことを考え出さないよう気をつけている。

今回参加させてもらった式もすごかった。
感動が新鮮なうちに書き残しておく。

1 招待状が届く

だれでも知っているような大きな賞だからというわけではないのだろうけど、宛書が毛筆だった。墨汁では出せない光沢を伴う筆致のせいで封筒は見た目の圧がすごい。

当日列席したまた別の友だちいわく、この封書が実家に届いてひと悶着あったらしい。その友だちはご家族に黙って創作活動をしている。とはいえご家族のほうでもなにか感じ取っていたのだろう。そこに舞い込んだただならぬ気配をはらむ封筒。なにしろ差出人は日本文学界の牙城だ。仰々しいにもほどがある。「そこに座りなさい。これはなんだ」黙って小説を書いているんじゃないかと勘繰られたいう笑い話。いやまあそのひとばりばり書いているんだけどね。

2 当日

お呼ばれ二回目となると手慣れてくるもので、会場に到着するや否やカバンと上着を一階クロークに預ける賢さを見せつける。受付のある二階まで行こうと思って立ち止まる。ポケットを上からたたく。今日の招待状をカバンの中に入れっぱなしだったことを思い出す。クロークに戻って預けたカバンと上着を出してもらう。仕切り直して二階受付へ。

受付に必要なのは招待状ではなく封筒のほうとのこと。そっか、それはカバンの中だ……というわけで、再びクロークに戻るというコントをやった。賢しらぶって慣れないことをするものではない。以後、気をつけたい。

受付で小さな丸いシールをもらった。それを上着につける。

前回出席した授賞式では、プルーフ版(発売前に書店員に配るお試し版)や、文芸誌の受賞作掲載号などが、ご自由にお持ちくださいとなっていた。今回もそういうのがあるかと思って、掲載号は買わないでいた。ところが今回はなかったので、また別に贖いたい。出版不況を受けてサービスしなくなったのか、それとももともとそういうのはやってないのかはわからなかった。

 

3 会場

入ったところすぐにグラスが並んだテーブルがある。下戸のおれはビールしか飲めないでここはスルー。こういうところのビールのサーブはなぜか遅い。(炭酸の)気が抜けるのを避けているってことなのかも?
部屋の正面、見上げる位置に大きな看板。その下にどでかい金屏風。パーティー会場も兼ねている授賞式会場だ。

友だちと先の雑談(封筒騒動)などしながら開会を待っていると、マスコミ以外は撮影禁止とのアナウンスが入る。そういえば招待状にはSNSへの投稿禁止との文言もあった。時代の流れにそぐわないというよりも、神経過敏になっているような印象を受ける。

 

4 授賞式

とにかく人が多いというのが第一印象。出版社の方たちなのだろうか、スーツを着こなしているかたが多かった。デカい賞だけあって報道陣もかなりの数がきている。
贈賞式、講評、受賞者のことばと続いた。こういうときは、事前にコメントを用意していくか、それともアドリブで乗り切るかの二択になる。われらが友だちは前者で、また別のもうひとり受賞者のかたは後者だった。勝ち負けではないけど、友だちのほうが心に残るスピーチだと思った。
主催者代表の挨拶で締め。
ご時世的に触れずにはおけないコロナ・ウィルスについても触れていた。会場には消毒薬・マスクの用意があるとのことだった。

 

5 パーティー

17:30から受付開始。18:00から授賞式。18:30ごろからご歓談がはじまって19:30までと、わりと急ぎ足な進行。
超高級なバイキングを想像してもらえればだいたいそれであってる。どの皿もだいたい美味しい。目の前で切り分けるローストビーフ、職人さんが次々握るお寿司は大行列。
ビーフシチューをかけるパスタがおいしい。固くて甘いホテルのパンも食べたかったがやめといた。切実にタッパーがほしいもしくはこの会場でタッパー売ってひと財産作りたい。

京極夏彦さんは和服で、本当に手甲つけていた。会場の中央――金屏風ステージの周りには審査員の先生方をはじめ、現役作家のかたがたがうようよいた。小説家の顔に詳しかったら、きっと卒倒しているであろうメンツなのだろうけど、不勉強なおれには誰が誰だかわからなかった。この会場の文章IQは異常に高く、そのピークが会場中央の金屏風付近にあった。

授賞式の主役にも声をかけることができた。
歓談時間は短いけどダラダラしないので、ちょうど良かったのかも。

 

6 二次会

時間をつぶしてから二次会会場へ。
結婚式の二次会そのまんまだった。そういえば、文学賞の授賞式は結婚式のそれと酷似している。ご祝儀がいらない結婚式だ。主催者の財布は痛いけど、参加者にとってはめでたいしかない。

その主催者は某大手出版社だ。受賞作を掲載した文芸誌の編集部が企画したもので、我々はその恩恵に浴している。その文芸誌に掲載された作品が今回の賞を取ったのは、田中慎弥さん依頼なのだそうだ。(その前は金原ひとみさんとのこと。なにそのすごいメンツ!)その田中慎弥さんをはじめ、二次会の顔ぶれも豪華だった。

正賞に触らせてもらうというささやかな(人任せでひどい)夢も叶った。その賞は副賞が百万円で正賞が懐中時計だ。名誉がいちばんとはいえ、名目上、日本の文豪たちはその懐中時計を争ってきたのだった。どんな懐中時計なのか疑問に思っていたのだった。

夢にみたほどのそれは五百円玉のくらいのサイズの小さい時計だ。いわゆる「恩賜の銀時計」みたいなものを想像していたのだが、鎖や上蓋はなかった。裏面に刻印があったけど、それも割とチープだった。適度な肩透かし感があって、それがかえってすがすがしい。

裸のままポケットにしまう友だちも頼もしかった。

ほかの方ともいろいろ話ができて面白く過ごした。

20:30スタート、22:30解散だった。

 

 

まとめ

三島由紀夫は書いてある文章を読んでいるかのようなスピーチをアドリブでやってのける。

友だちは二次会のスピーチを下書きなしにやってのけた。授賞式ではあんちょこを広げていたのを覚えていた。実は下書きなしでもいけるし、なんならとてもいいスピーチだった。前述、三島由紀夫を思いだした。やっぱり文章に対する感覚がずば抜けていると思った。

友だちがすごいから自分もすごいみたいなことを考えないよう気をつけているおれがいうのもなんだけど、またしても小説がうまくなってしまった。授賞式、二次会と文章偏差値があまりに高いため、自分もうまいとかんちがいを引き起こしている。

プロになったら、こういう会合に参加する機会が増えるため、プロたちもまた文章がうまくなったとかんちがいしているのだろう?というがばがば理論を提唱していきたい。

ただ、こちらのかんちがいは訂正せずに野放しにしようと思っている。むしろうまく育てていきたい。

自分がノンタイトルなせいでかなり損していると思ったからだ。必要なひとに出会うチャンスを逃しているし、すごいチャンスも逃している。

いじけずくじけず、おれももっとがんばんなくちゃね。

 

友だちの作家活動が順風満帆であることを祈っている。